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京都地方裁判所 昭和40年(ワ)658号 判決 1973年10月19日

原告

椋木克

右法定代理人親権者父

椋木忠一郎

同母

椋木節子

原告

古川起余子

右法定代理人親権者父

古川重成

同母

古川清美

原告

林宏文

右法定代理人親権者父

林光伸

同母

林千鶴子

右原告三名訴訟代理人

橋本清一郎

被告

右代表者法務大臣

田中伊三次

右指定代理人

二井矢敏朗

外三名

主文

被告は原告らに対し、各金一、〇七〇万円あてと、うち金一、〇〇〇万円に対する昭和四〇年八月二七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は三分し、その一を原告らの、その余を被告の、各負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができ、被告は各原告に対し金七〇〇万円あての担保を供して仮執行を免れることができる。

事実

第一、当事者の申立

一、原告ら

被告は、原告椋木克に対し金一、六四五万四、四八八円、原告古川起余子に対し金一、六〇七万一、〇一六円、原告林宏文に対し金一、七八四万〇、一四九円および右各金員に対する昭和四〇年八月二七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決と仮執行の宣言。

二、被告国

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決と担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二、請求の原因事実

一、診療事故

(一)  原告椋木克は、昭和三六年一月二七日、原告古川起余子は、同年二月九日、原告林宏文は、同年三月六日、いずれも京都市伏見区深草向畑町官有地所在国立京都病院産婦人科で出生し、即日同病院新生児室に収容された。

ところが、原告らは、いずれも生後間もなく、同病院内で黄色葡萄球菌(スタヒロコックス・アウレス)感染症に罹患し、原告椋木克は同年二月二日、原告古川起余子は同月一七日、原告林宏文は同年三月一五日、それぞれ同病院小児科に転科してその治療を受けた。同科は、右治療に際し、原告らに多量の抗生物質カナマイシンの連続投与をしたが、その期間および数量は次のとおりである。

原告椋木克には、同年二月九日から同月三月二〇日まで毎日朝夕二回各一二五ミリグラムあての筋肉注射、同年二月九日から同年三月七日まで毎日一回一二五ミリグラムあての局所注入が行われ、その総量は一三、五〇〇ミリグラムにおよんだ。

原告古川起余子には、同年二月一八日から同年三月七日まで毎日朝夕二回各一二五ミリグラムあての筋肉注射が行われ、その総量は四、六二五ミリグラムにおよんだ。

原告林宏文には、同年三月一五日から同年四月四日まで毎日朝夕二回各一二五ミリグラムあての筋肉注射が行われ、その総量は五、〇〇〇ミリグラムにおよんだ。

(二)  原告らは、生後一年余を過ぎても言語を解せず、両親らが話しかけても何らの反応を示さなかつた。

そこで、原告らの両親らは、京都大学医学部付属病院、京都府立医科大学付属病院、奈良県立医科大学付属病院などの耳鼻科で原告らを診てもらつたところ、原告らは、いずれもカナマイシンの多量連用によるビタミン欠乏症に起因する強度の難聴(聾者)で、これを治療する医療的処置はないものと診断された。

二、責任原因

原告らが聾者になつたのは、国立京都病院医師らの次のような医療上の過失が競合関連したことによる。

(一)  国立京都病院では、新生児は、母親とは別の新生児室に収容されたうえ、同室の看護婦から一切の世話を受け、看護婦が授乳のため新生児を褥室の母親の許に連れてくるとき以外は、母親らが新生児に接触する機会はない。ところで、原告らの黄色葡萄球菌感染部位は、いずれも臀部割れ目のやや上部で、同部位は授乳時には常に着衣で覆われていたのであるから、原告らが母親から右菌に感染することはありえない。したがつて、右感染経路については、新生児室での襁褓交換などの際に、看護婦の爪又は指で原告らの臀部に傷がつき、ここから同病院内の空気中或いは看護婦の身体衣服などにあつた右菌が侵入したものと考えざるをえない。

そうすると、右感染は、国立京都病院産婦人科医長訴外伴一郎が、院内感染を未然に防止するため病院内の衛生管理と看護婦に対する衛生指導を十分に尽すべき注意義務を怠つた過失により生じたものである。

(二)  黄色葡萄球菌は、他の有毒菌類に比較し抵抗力繁殖力が強く、新生児がこれに感染した場合には、速かに患部を除去するなど適切な処置を迅速にとらなければ、生命に危険がおよぶおそれが多分にある。それだのに、国立京都病院産婦人科医師らは、原告らの右感染症の発見を遅くれ、発見後、専門の同病院小児科に転科させたのは、原告椋木克、同古川起余子は約二〇時間、原告林宏文は約一二時間を経過した後であつて、その間専門外の産婦人科医師が診療にあたり、患部のフラスキン湿布、ペニシリン注射などの応急処置をしただけで長時間放置した。そのため、原告らの右感染症を悪化させ、原告らを重態に陥らせた。

このように原告らの症状を悪化させ、その治療に多量の抗生物質を連用しなければならない状態に陥らせたのは、伴医長ら産婦人科医師が原告らの右感染症の発見を遅滞し、発見後も速かに専門の小児科に転科させるなどの適切な処置をとらなかつた過失を犯したことにその原因がある。

(三)  原告らは、国立京都病院小児科に転科したのち、右感染症治療のため、前記のとおり抗生物質カナマイシンの連続投与を受けた。ところで、カナマイシンは、右感染症の治療に有効である反面、ビタミン欠乏症に基づく強度の難聴をもたらす副作用があり、したがつて、その投与に際しては、使用量、使用方法に注意するとともに、ビタミン剤、コンドロイチンなどを併用して、この副作用の発生を予防するため細心の注意を払う必要がある。カナマイシンの適量は、普通、大人には一日の注射量が一、〇〇〇ないし一、二〇〇ミリグラム、小人には大人の三分の一ないし二分の一の量とされており、その適量を越えるときには右副作用の発生が予想された。ところが、国立京都病院小児科医長代理訴外小池和男は、右注意を怠り、自らまたは同科所属医師に指示して、前記のとおり原告らに対して多量のカナマイシンを連続投与した。

原告らが聾者になつたのは、小池医師の右過失に基づくカナマイシンの連続投与がもたらした副作用による。

(四)  被告国は、右医師らの使用者であるところ、本件診療事故は、同医師らが被告国の業務を執行中前記医療上の過失を犯したことによつて発生したのであるから、被告国は、民法七一五条一項により、右診療事故によつて生じた原告らの次の損害を賠償する責任がある。

三、損害

(一)  慰藉料 金一、五〇〇万円あて

原告らは、いずれも、本件診療事故により、乳児期に聾者になり、この後天的聾を治療する医療的処置はなく、生涯聾者として暮さなければならない。普通人のような口頭による対話の不可能な原告らは、将来職業に就けたとしても人並みの給料や収入は望みえず、また日常生活上で受ける不利不便は極めて大きい。その他諸般の事情に鑑みると、本件診療事故によつて原告らが被つた精神的損害に対する慰藉料は、金一、五〇〇万円あてが相当である。

(二)  弁護士費用

原告椋木克 金一四五万四、四八八円

同 古川起余子 金一〇七万一、〇一六円

同 林宏文 金二八四万〇、一四九円

四、結論

原告椋木克は、金一、六四五万四、四八八円、原告古川起余子は、金一、六〇七万一、〇一六円、原告林宏文は、金一、七八四万〇、一四九円とこれらに対する訴状送達の日の翌日である昭和四〇年八月二七日から各支払いずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを被告国に求める。

第三、被告国の答弁と主張

一、請求の原因事実に対する答弁

(一)  原告ら主張の請求の原因事実第一項中、(一)の事実は認めるが、(二)の事実は不知。

(二)  同第二項中、国立京都病院産婦人科では、母親と新生児が別室に収容され、新生児の世話は同科看護婦が行つていることと、被告国が同科および同病院小児科医師の使用者であることは認めるが、その余の事実は争う。

(三)  同第三項の損害額を争う。

二、被告国の反駁と主張

(一)  黄色葡萄球菌は、その性質上、人体の各部位、外気中に極めて広範囲に存在し、ことに多数の傷病者が出入りしたり収容される病院内には、他の場所に比較し毒性の強い菌が侵入存在しており、最善の注意を尽しても避けがたいのである。そして、新生児が右菌に感染する経路としては、空気中の菌が口腔鼻腔を通じて体内に侵入する場合のほか、出産時母親の産道通過の際や出産後の授乳時に右菌に感染することが考えられ、右菌は、0.8ないし1ミクロンの微細なもので、少しの傷は勿論、毛嚢、汗腺からも体内に侵入しうるものである。

したがつて、原告らが、国立京都病院新生児室で右菌に感染したとの推論は、当然には成り立たない。

国立京都病院では、衛生管理と看護婦に対する衛生指導を十分に尽し、院内感染を防止するため必要な措置をとつていたが、たまたま右菌の特性から原告らの感染を避けえなかつたもので、不可抗力による事故であり、同病院医師に管理指導上の過失はなかつた。

(二)  一般に新生児の疾病に関しては、産婦人科医もその専門医であり、国立京都病院産婦人科医師は、いずれも右疾病について小児科医に劣らない専門的知識と治療能力があつた。そして、同医師らが、原告らの黄色葡萄球菌感染症の発見を遅滞した事実はなく、これに対する医療処置にもなんらの過誤はなかつた。原告らは、右医師らの治療方法にも過失があつたと主張しているが、原告らの右感染症に対し、外科的処置をとるか、薬剤投与による内科的治療方法をとるかは、担当医師の裁量に委ねられているところであり、外科的処置をとらなかつたことを同医師らの過失とすることはできない。原告らの症状が早期に悪化したのは、右医師らの医療処置が不適切であつたためではなく、感染した黄色葡萄球菌の毒性が強かつたことと、原告らが通常の新生児に比べて抵抗力が弱かつたことに起因する。

(三)  原告らが、国立京都病院小児科に転科したときには、既に重症に陥つており、敗血症の疑いも濃く、早急に強力な治療を加えなければ、死亡するおそれがある差迫つた状態であつた。そこで、同病院小児科小池医師は、感染菌の薬剤耐性検査を行つた結果、右菌に対する感受性が他の抗生物質に比較し最も強いことが判明したカナマイシンを原告らに投与した。当時カナマイシンは、いわゆる新薬であり、当時入手可能であつた資料によると、乳児に対する使用量は、一回二五〇ないし五〇〇ミリグラム、一日一ないし二回の注射が適量とされていたので、小池医師は、原告らに対し右適量以下のカナマイシンを投与したものである。

仮に、小池医師が原告らに投与したカナマイシンの量が、当時の医学水準に照らし、過多であつたとしても、当時、原告らは前記のとおり極めて重症であり、その生命を救うために緊急を要する状態にあつたのであるから、医師としては、注意不十分による多少の危険を冒しても、果敢にその処置をとる必要があり、その結果副作用による発症を避けえなかつたとしても、右治療行為は、正当防衛もしくは推定的同意があつた行為として、その違法性は阻却される。

(四)  原告らはカナマイシン連用の結果ビタミン欠乏症により聴力障害を起したと主張しているが、原告らが、カナマイシン使用前正常な聴力を有していたか不明であり、仮に、正常な聴力を有していたとしても、右聴力障害が、カナマイシン使用による副作用に基づくものであるかどうか医学的に明らかであるとはいえない。もつとも、小池医師は、一般感染症時に起りうるビタミン代謝障害を考慮して、原告椋木克に対し総合ビタミン剤を投与しており、また念のために原告らに対し聴力検査も試みた。

(五)  仮に本件診療事故について被告国に損害賠償責任があるとしても、右責任はすでに時効によつて消滅している。

原告椋木克は、昭和三七年五月二二日、神戸医科大学付属病院耳鼻咽喉科で、その聴力障害がカナマイシンの副作用に基づく全聾であるとの診断を受け、原告古川起余子は、同月一六日、京都大学医学部付属病院で、その聴力障害がカナマイシンの副作用に基づく難聴であるとの診断を受け、それぞれその頃、右原告らの各法定代理人はその加害者とこれによる損害を知つた。また、原告林宏文の法定代理人も、遅くとも同年六月末日頃までには、同原告の聴力障害がカナマイシンの副作用に基づくものであること、したがつてまたその加害者とこれによる損害を知つたものであるところ、原告らの本件訴え提起のときには、既に右の頃から三年を経過しているから、被告国の右賠償責任は、時効によつて消滅した。そこで、被告国は本件で右時効を援用する。

第四、被告の消滅時効の抗弁に対する原告らの答弁

被告主張の時効消滅の抗弁事実は否認する。

原告椋木克、同古川起余子が被告主張の頃その主張の病院で聴力の診察を受けたことはあるが、当時は右原告らが幼少のため確定的な診断を下しえない状況にあり、法定代理人らは、右病院での診断を直ちに信用できず、原告らの聴力障害の有無程度を確認するため、昭和三七年から昭和三八年一、二月頃にかけて各地の大学病院を訪ねた末聾学校に相談に行き、昭和三八年になつてようやく原告らに不治の聴力障害があることを確定的に知つたものである。したがつて、原告らの本件訴え提起のとき、また原告らの法定代理人らが本件加害者と損害を知つてから三年の時効期間が経過していない。

第五、証拠関係<略>

理由

一原告ら主張の請求の原因事実中第一項(一)の事実は、当事者間に争いがない。

二原告らは、原告らがいずれも聾者であつて、これは国立京都病院医師らの医療上の過失によつて生じたものであると主張するので、この点について判断する。

(一)  原告らの聴力障害について

<証拠>によると、次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

原告らは、いずれも、遅くとも生後一年未満の乳児期以来、両耳に内耳性の高度の聴力障害があり、他人の会話を全く聴取することができず、その障害が、感音系の障害に由来するため、現在の医学では治療手段がなく改善の見込みがない。

(二)  病院内の管理などについて

(1)  <証拠>によると、次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

黄色葡萄球菌は、ひろく空中水中に存在し、空気感染や接触感染によつて人体の各部位に付着繁殖し、健康人もその多くが保菌者である。

したがつて、病院内の特に区分された新生児室に収容されている新生児についても、同室内の空気中に存在する菌や、看護婦など入室者との接触によつて、右菌に感染する危険性が常にあり、しかも抵抗力の弱い新生児がこれに感染すると、発病の可能性が大きく、発病後は病状の進行が早くて死亡率が高い。

(2)  右認定の黄色葡萄球菌の特性やそれが新生児の生命健康におよぼす重大な結果に鑑みると、産婦人科医師には、新生児室の衛生管理にあたり、常日頃から、同室内への右菌の侵入とこれによる新生児への感染を未然に防止するために必要なできる限りの措置を尽し、最善の注意をもつて新生児を右菌の感染から守る高度の注意義務があるといわなければならない。そうでないと、産婦は、安心して新生児を病院に託すことができなくなる。

(3)  この視点から、本件を観察する。

国立京都病院産婦人科では、母親と新生児が別室に収容され、新生児の世話は、同科看護婦が行つていることは、当事者間に争いがなく、この事実や、<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(イ) 国立京都病院産婦人科病棟には、広さ約三〇平方メートルの新生児室が一室設けられ、原告らは、出生と同時に同室に収容されて同室勤務の看護婦から養育上の一切の世話を受けた。原告らの母親は、同じ棟続きの病室に収容されていたが、一日七回の哺乳時に、新生児室の窓口で原告らを受け取つて自室に連れ戻るとき以外は、原告らと接触する機会がなかつた。

(ロ) 新生児室の管理は、産婦人科医長訴外伴一郎が基本的な方針を定め、これに則り同科看護婦長が配下看護婦の具体的な執務状況を監督していた。右管理の眼目は、新生児に対する菌感染防止にあり、同室は、二重ドア、吸音ボードなどによつて気密化され、天井に殺菌灯二基を設置するほか、エアコンディション装置を設けて、吸気、排気、温度調節を行い、同室勤務の看護婦などに対しては、予防着、マスクを着用させ、室内随所にクレゾール消毒設備を配置して始終手の消毒を励行させ、室内の清掃消毒を徹底させる一方、勤務者以外の者の同室内への立入りを固く禁じていた。また、新生児に対しては、一日当り沐浴一回、襁褓交換約二〇回、肌着類とシーツ布の取替え一回以上、検温二回以上を行い、主治医の回診も一日一回は行われた。なお、本件事故当時は、襁褓交換の際、新生児の臀部をガーゼで拭くか水洗いをしていたが、原告らが相次いで黄色葡萄球菌感染症に罹患したことから、その後は、マーゾニン液で臀部を消毒するようになつた。

(ハ) 原告らは、いずれも、右新生児室内に収容中、その臀部に右感染症の症状である発赤、腫脹、硬結の生じているのが発見された。右菌の侵入経路について、当初鼻腔もしくは咽頭から体内に侵入した菌が、腸管を経て便と共に体外に排出され、その便による汚染により臀部に感染した場合と、襁褓もしくはその交換者の手指に付着していた菌が直接臀部に感染した場合とが考えられ、本件が、そのいずれであるか、必ずしも明らかではない。しかし、いずれにせよ、臀部付近に感染付着した菌が、同部位の皮層内で繁殖して発病に至つたことは、その発症部位に照らして間違いがない。

なお、一般に、新生児の臀部は、常時襁褓に覆われているため、相当の注意を用いても、湿潤して不潔になりやすく、また同時に、臥床時ベッドに押しつけられた状態にあるため、血液の循環が阻害され、かぶれなどによる微少な傷がつきやすい。

(4)  右事実によると、次のことが結論づけられる。

(イ) 新生児の臀部は、一般に菌感染を起しやすい部位であり、このことは新生児の専門医である伴医師の当然認識するところであつた。

(ロ) 伴医師は、本件事故当時、看護婦をして沐浴や頻繁な襁褓交換を行わせることにより、新生児の臀部を清潔に保つための注意を払つてはいたが、襁褓交換などの際、新生児の臀部をガーゼで拭くか水洗いする程度に止めていたことは、同部位からの菌感染を防止するに必要な最善の注意を尽していたとはいえない。なぜなら、当時、マーゾニン液で臀部を消毒するという菌感染防止に有効な方法が他に存在したのであり、本件事故後直ちに右方法が講じられたことに鑑みると、本件事故当時に右方法をとることは十分可能であつたと考えられるからである。

(ハ) 本件で特に注意しなければならないことは、原告らが、一か月半という短期間の間に相ついで、同部位に感染したことである。このことは、感染の経路が正確に判明しないにしても、新生児室の衛生管理の不十分さをうかがわせるに足りる事柄である。

(ニ) 原告らは、出生時以来同一の新生児室に収容され、授乳時に限つて、それぞれの母親の居る病室に移されてそこで母親や面会人と接触する機会はあつたが、その時間は限られたものであるから、右(ハ)の事情を加味したとき、原告らは、看護婦の身体もしくは襁褓その他の衣類が黄色葡萄球菌に汚染されていたか、または原告らの臀部の清潔が保たれていない状態にあつたため感染したものと推認される。

(ホ) このようにみてくると、伴医師は、新生児室への右菌の侵入防止もしくは侵入した菌の制圧措置に手ぬかりがあつたとするほかはなく、伴医師には、この点で、新生児室の管理について過失があり、この過失が、原告らの右菌感染による発病を惹起する原因になつたものといわなければならない。

(三)  産婦人科での処置について

<証拠>によると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(1)  当時生後六日目で新生児室に収容されていた原告椋木克は、昭和三六年二月一日午後六時頃仙骨部から尾骨部にかけて直径数糎の円形発赤硬結があるのを発見され、同時に三九度前後の発熱がみられた。そこで、主治医の真鍋英夫医師は、直ちに、水性ペニシリン(五万単位)注射を施すとともに、患部にフラスキン湿布を行つた。しかし翌二日午前八時頃には、右発赤部分が仙骨部全体に拡がつたので、同医師は、即刻同病院小児科小池和男医師に来診を請い、さらに同病院外科医師とも相談のうえ、同原告を隔離して治療するため、その頃同病院小児科に転科させた。

(2)  当時生後九日目で、新生児室に収容されていた原告古川起余子は、同月一七日午後二時頃、尾骨部に周囲三糎位の腫脹硬結があるのを発見され、同時に三八度前後の発熱がみられた。そこで、主治医の横田唯一医師は、直ちに、水性ペニシリン(一〇万単位)注射を施したうえ、同日午後二時頃前記小池医師に来診を請い、同医師と相談して、その頃同病院小児科に転科させた。

(3)  当時生後一〇日目で新生児室に収容されていた原告林宏文は、同年三月一五日午前三時頃、臀部に発赤と軽度の硬結があるのを発見され、同時に三八度前後の発熱がみられた。そこで、主治医の横田唯一医師は、直ちに、水性ペニシリン(一〇万単位)注射を施したうえ、同日午後二時頃前記小池医師に来診を請い、同医師と相談して、その頃同病院小児科に転科させた。

(4)  同病院新生児室では、看護婦が、昼夜をわかたず新生児の身体状況を観察しており、原告らの右症状は、いずれもこのような状況のもとで発見された。

原告らの右症状は、いずれも丹毒或いは蜂窩織炎の発病を疑わせるものであつたが、新生児(生後約二週間までの児)の疾病の医療は、産婦人科と小児科の専門領域に属し、産婦人科の真鍋、横田両医師が原告らに施したペニシリン注射などによる治療方法は、当時の医学界では、右丹毒或いは蜂窩織炎の治療に有効な方法として承認され、一般に行われていたものであつた。

右認定事実によると、真鍋、横田両医師は、原告らの身体に異常を発見した際、直ちに当時一般に行われていた有効な治療方法を講じるとともに、遅くとも一五時間以内に小児科医の来診を請うたうえ、原告らを小児科に転科させているのであるから、右両医師の医療措置に過誤があつたとはいえないし、原告らの当初の症状や新生児室での看護婦の勤務状況に照らし、原告らの疾病の発見に遅滞があつたとするわけにはいかない。

(四)  小児科での処置について

<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する<証拠>は採用しないし、ほかにこの認定に反する証拠はない。

(1)  原告椋木克の治療状況

原告椋木克が小児科に転科した昭和三六年二月二日の診察所見は、腰部から臀部にかけて第五腰椎棘突起を中心に、上は第二腰椎までを半径とするほぼ円形の境界鮮明な発赤腫脹があり、局所熱感が強く、外陰部睾丸は一様に発赤腫脹し、肛門より約三糎後方に瘻孔があつて、黄褐色の膿汁を少し排出し、前胸部に帽針頭大の膿庖一個と後頭部に軽度の発赤があつて、体温は三九度から四〇度におよび、局所症状一般症状とも重篤な状態であつた。小児科は、当日身体から採取した分泌物を菌培養検査したところ、翌三日右分泌物中から黄色葡萄球菌を発見し、同原告の右症状が、右菌に感染したことによるものであることを知つた。

そこで、主治医越智京子(旧姓竹内)医師は、小児科医長代理小池和男医師の指示のもとに、クロロマイセチン、コリマイシン注射と、エリスロマイシンシロップの投与を行い、同月七日からは、臀部穿刺による排膿を行つて、その治療にあたつた。なお、同医師らは、患部の外科的切開手術をすることは、同原告の症状から適当でないと判断した。その結果、同月六日頃から、体温、脈搏はほぼ平常に復し、前記の発赤腫脹部分は、一時やや拡大したが、転科四、五日後からは消退の兆しがみえはじめ、飲思も良好で身体状況に格別の衰弱傾向はみられなかつた。

小池医師は、右治療に用いる抗生物質を選択するため、右菌について各種抗生物質の感受性検査を、国立京都病院細菌検査室と京都大学医学部の福田医師に依頼した。右細菌検査室の同年二月二日の検査では、コリマイシンとクロロマイセチンが、同月七日の検査では、エリスロマイシン、クロロマイセチン、ペニシリンが、同月八日の検査では、エリスロマイシンとストレプトマイシンが、それぞれ右菌に有効であると判定され、他方福田医師の同月七日の検査では、カナマイシンとクロロマイセチンが有効であるがペニシリン、エリスロマイシンは右菌に効果がないと判定された。

そこで、小池医師は、従来用いていた抗生物質に変え、福田医師が最も有効であると判定したカナマイシンを用いることに決め、越智医師にその旨の指示をして、前記のとおり、原告椋木克に対し、同月九日から同年三月二〇日まで、毎日朝夕二回各一二五ミリグラムあてのカナマイシン筋肉注射(その総量九、八七五ミリグラム)と同年二月九日から同年三月七日まで毎日一回一二五ミリグラムあてのカナマイシン局所注入(その総量三、六二五ミリグラム)を行い、併せて臀部穿刺による排膿を行つた。

同原告の全身状態は、カナマイシンの使用を開始した同年二月九日頃には、要注意状態を脱しており、局所状態は、際立つた改善がみられなかつたものの、小康状態を保つていた。その後、同原告は徐々に快方に向かい、同年四月一日治癒退院した。

なお、国立京都病院細菌検査室で行つた右カナマイシン使用期間中である同年二月一三日の感受性検査では、ペニシリン、クロロマイセチン、エリスロマイシン、カナマイシンが右菌に有効であるとの結果が出た。

(2)  原告古川起余子の治療状況

原告古川起余子が小児科に転科した昭和三六年二月一七日の診察所見は、右臀部に約三糎の径を有する硬結と発赤がみられ、脈搏が多く若干の発熱があつたが、全身状態には著変がなかつた。

小池医師は、原告椋木克の症例から推して、右診察所見から、原告古川起余子も黄色葡萄球菌感染症に罹患したものと診断し、身体から検出された菌について各種抗生物質の感受性検査を国立京都病院細菌検査室に依頼する一方、主治医金谷医師に、カナマイシンの投与を指示した。小池医師は、同原告に対しても、外科的手術は適当でないと判断した。小池医師が、右感受性検査の結果が判明する以前にこのようにカナマイシンの投与を決めたのは、新生児感染症は早急に処置した方がよく、同原告の疾病に対しても原告椋木克の場合と同様カナマイシンがその治療に有効であると判断したからであつた。このようにして、金谷医師は、原告古川起余子に対し、翌一八日からカナマイシン筋肉注射を開始し、右感受性検査によりカナマイシンとエリスロマイシンが右菌に有効であることが判明した同月二〇日以降は、エリスロマイシンシロップの投与を併用し、前記のとおり同年三月七日まで、毎日朝夕二回各一二五ミリグラムあてのカナマイシン筋肉注射(その総量四、六二五ミリグラム)を行い、併せて膿瘍穿刺による排膿が行われた。

同原告の体温、脈搏は、同年二月二二日頃からほぼ正常に復し、同年三月初め頃には全身状態も良好となり、局部の硬結、発赤もほぼ消退して、同月八日、治癒退院した。

(3)  原告林宏文の治療状況

原告林宏文が小児科に転科した昭和三六年三月一五日の診察所見は、背部下部から臀部にかけて発赤、硬結がみられ、肛門より約三糎背部の波動を呈する部位を圧すると膿の排出があり、平熱で脈搏はさほど多くなく、全身状態には著変がなかつた。

小池医師は、同様右診察所見から同原告も黄色葡萄球菌感染症に罹患したものと判断し、身体から検出された菌について各種抗生物質の感受性検査を前記細菌検査室に依頼する一方、原告古川起余子の場合と同様、外科的措置をしないで、直ちに主治医越智医師に、カナマイシンとエリスロマイシン・シロップの投与を指示した。このようにして、越智医師は、同原告に対し、転科当日の同月一五日から同年四月四日まで毎日朝夕二回各一二五ミリグラムあてのカナマイシン筋肉注射(その総量五、〇〇〇ミリグラム)を行い、併せて臀部穿刺による排膿が行われたが、右カナマイシン注射を開始した直後に判明した前記感受性検査の結果によると、カナマイシン、クロロマイセチン、エリスロマイシン、ペニシリンが右菌に有効であると判定されていた。

同原告の全身状態は、右治療期間中、変化がなく、局所の発赤、硬結も増大をみないまま次第に快方に向かい、同年四月八日、治癒退院した。

(4)  カナマイシンについて

カナマイシンは、昭和三三年五月の日本医学会主催のシンポジウムで、抗酸性菌、グラム陽性菌、陰性菌などに対する有効性が確認された抗生物質で、昭和三六年頃には主として、抗結核剤として使用されていたが、その頃既にカナマイシンが、第八脳神経を障害して聴力障害をもたらす副作用を伴うものであることが、医学上の定説となつており、右聴力障害は、当時は勿論現在の医学水準でも、有効な治療方法が全くない。右副作用の出現率や程度は、カナマイシンの使用量にほぼ比例するが、個人差も大きく、ことに新生児に対する許容量について、当時定説がなかつた。もつとも、昭和三三年の医学雑誌(小児科診療二一巻一〇号・乙第一〇号証)に掲載された東大分院小児科の報告によると、乳幼児に対するカナマイシンの使用量について、体重一キログラム当り三〇ないし五〇ミリグラムを適当とし、重症の場合はその培量を使用するのがよいとしているが、右使用量は、主として治療効果の面から提唱されたもので、副作用との関係でその許容量を検討した結果の数値ではない。

小池医師は、原告らの前記治療にあたり、カナマイシンの副作用についての医学知識を有しており、原告らにカナマイシンを投与するに際し、カナマイシンの箱に挿入されていた製薬会社の効能書を参照したうえ、原告らに対する使用量を決めた。

カナマイシンは、当時健康保険の薬価基準に入つていないため、国立京都病院小児科にはなかつた。

そこで、小池医師は、原告らの両親らに、薬局で購入してくるよう指示して使用した。しかし、小池医師は、そのとき原告らの両親らに、カナマイシンの副作用の説明はしなかつた。

このことから、小池医師は、当時、カナマイシン使用の経験が少なく、副作用について、慎重に考慮のうえ、カナマイシンの使用と使用量とを決めたものではなかつたことが窺知できる。

カナマイシンの副作用である聴力障害が発生したかどうかを試験するための聴力検査は、昭和三六年当時、新生児に対するものは研究段階にあり、わずかに全国で数か所の病院でその検査方法が実用化されつつあつたにすぎなかつた。

小池医師は、原告椋木克に対するカナマイシン使用期間中、越智医師に指示して、音の出る玩具を用い同原告の音に対する反応を調べてみたことがあつたが、新生児に対し、これだけでは、副作用発生について十分な資料はえられる筈はなかつた。

以上認定の事実から次のことが結論づけられる。

① カナマイシンの使用に伴う副作用は人の日常生活に欠くことのできない聴力を犯すもので、しかもこれに対する有効な治療方法は当時も現在もない。

新生児は、身体的に未熟であり、カナマイシン使用の許容量について、当時定説がなかつたし、副作用の早期発見のたための聴力検査の方法もなかつた。しかも、カナマイシンは、当時、健康保険薬として、普通小児科の医師が使用していなかつたのであるから、その使用量についての資料や副作用の報告も少なかつたわけである。

そうすると、新生児の疾病の治療にあたる小児科の医師が、抗生物質を治療に使用する場合には、どの抗生物質を選択するかについては、裁量の範囲であるとはいえ、まず、より副作用の少ない抗生物質を使用して抵抗の弱い小児の治療をするべきである。しかし、他に有効な治療手段がなくやむなくカナマイシンを使用する場合には、医師には、新生児の前記特殊事情を考慮して、その使用量、使用期間をできるだけ安全な範囲内に止め、カナマイシンの使用に伴う重大な副作用の発生を未然に防止すべき注意義務があるといわなければならない。

② ところで、原告椋木克の病状は、国立京都病院小児科に転科した当初は、かなりの重症であつたが、カナマイシンの使用が開始された昭和三六年二月九日頃には、全身状態は、要注意状態を脱し、また局所症状も小康状態を保つていたのであつて、その治療経過に照らし、それまで使用されていたペニシリン、クロロマイセチン、コリマイシン、エリスロマイシンが右疾病の治療に効果を示していたとみることができる。そうして、このことは、数回にわたつて行われた同病院細菌検査室の感受性検査の結果によつて証明できた。

そうすると、小池医師が、このような状況のもとで、従来使用してきた抗生物質に変え、あえて重大な副作用が予想され使用経験の少ないカナマイシンの使用を開始しなければならなかつた必要性はなかつたわけで、小池医師は、より副作用の少ない他の抗生物質を続用することによつて、右疾病に十分対処しえた。

③ 小池医師が、このようにカナマイシンの使用に切りかえたのは、京大医学部福田医師の感受性検査の結果が、カナマイシン最適と出たからである。しかし、国立京都病院細菌検査室の感受性検査の結果では、他の抗生物質も有効であると判定しているのである。そうすると、小池医師は、福田医師の一回だけの検査結果を絶対視せず、両結果を慎重に検討し、更に納得のいく検査を求めるべきであつた。

④ そうすると、小池医師には、新生児に対するカナマイシン使用上の注意義務を怠つた過失があつたといわなければならない。

⑤ 原告古川起余子、同林宏文は、いずれも同病院小児科に転科した当時、病状は進行途上にあつたが全身状態に著変はみられず、局所症状も特に重症という程ではなかつたのであつて、時を移さずカナマイシンのような強力な抗生物質を投与しなければならない病状にはなかつた。

小池医師は、感受性検査の結果の判明をまたず、金谷、越智各医師に指示して直ちに同原告らにカナマイシンの投与を開始し、ほどなく、右検査の結果、カナマイシン以外に右疾病の治療に有効で、より安全な抗生物質のあることが判明したのちも、引き続きカナマイシンの使用を継続したもので、この点でも、小池医師には、新生児に対するカナマイシン使用上の注意義務を怠つた過失があつたといわなければならない。

⑥ しかし、小池医師が、原告らに対し外科的処置をとらなかつたことについて、過失はなかつた。

三責任原因

原告らの聾は、カナマイシンの副作用によることは、明らかであり、このような副作用が発生するまで多量にカナマイシンを原告らに投与した小池医師には、新生児に対するカナマイシン使用を誤つた過失がある。

そうして、このようなカナマイシンの投与が原告らに必要になつたのは、原告らが、国立京都病院新生児室で、黄色葡萄球菌の感染をしたからであり、この感染は、同産院産婦人科伴医師の新生児室の衛生管理上の過失にもとづく。

被告国が、伴、小池両医師の使用者であることは当事者間に争いがなく、本件診療事故は、両医師が、被告国の業務執行中に惹起したものであるから、被告国は、民法七一五条によつて、原告らの損害を賠償しなければならない筋合である。

四被告国の主張について判断する。

(一)  原告らの菌感染が不可抗力によるとの主張について

原告らは、一か月半の短期間に相ついで菌感染をしたことからして、新生児室は汚染しており、その衛生管理は十分ではなかつたのである。したがつて、原告らの感染が不可抗力によるとは、到底するわけにいかない。

(二)  小池医師の原告らに対するカナマイシン使用が、正当防衛もしくは推定的同意によるとの主張について

原告古川起余子、同林宏文の症状は、最悪の状態ではなかつたし、右原告らに比較してより重態であつた原告椋木克は、カナマイシン注射を開始するときには、小康状態にあり、他の抗生物質がきいていたのである。しかも、国立京都病院細菌検査室の感受性検査では、他の抗生物質も有効であるとの判定がでていた。

このような状況のもとでは、小池医師には、カナマイシンを使用する必要が全くなかつたのであるから、小池医師のカナマイシン使用が、正当防衛とか推定的同意のある場合に当らないことは言うまでもない。

したがつて、この主張は排斥する。

(三)  消滅時効の主張について

(1)  <証拠>を総合すると、原告椋木克の両親は、同原告が満一歳になる頃、その聴力の異常を疑い、近所の医者にみせたがはつきりした診断がえられず、昭和三七年四月七日京都府立医科大学付属病院で検査を受けた結果、全聾らしいとの診断を受けたが、まだ確定的な診断ではなかつたこと、同原告の両親は、同年五月二五日、神戸医科大学付属病院で後天的全聾との診断を受けたが、その際の診察が極めて簡単なものであつたため、右診断を直ちに信用せず、さらに京都府立医科大学付属病院で再度の診察を受けた結果、昭和三八年五月一八日になつて同原告が全聾であることの確定的な診断が下され、それがカナマイシンの副作用によつて生じたものである可能性が強いことを知つたこと、以上のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(2)  <証拠>を総合すると、原告古川起余子の両親は、同原告が満一歳になつても言語の発達がみられないため、数か所の大学病院などを訪ね、昭和三七年五月一六日、京都大学医学部付属病院で、同年九月一五日、京都府立医科大学付属病院で、それぞれ高度の難聴がある旨の診断を受けたが、しかし、当時同原告はまだ満一歳になつて間がない頃で検査結果の正確性に難があつたため、両診断は、いずれも後日に再検査を留保したいわば不確定的な診断であつたこと、同原告は、昭和三八年五月頃、京都府立医科大学付属病院で高度の難聴であることの確定的な診断を受け、同原告の両親らは、そのとき、それがカナマイシンの副作用によつて生じたものである可能性が強いことを知つたこと、以上のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(3)  <証拠>を総合すると、原告林宏文の両親は、昭和三七年九月一七日同原告の聴力に疑問を抱いて国立京都病院を訪ね、同病院の紹介で奈良県立医科大学付属病院で検査を受けた結果、同年一二月一三日頃、相当高度の難聴の疑いがあるとの診断を受け、その頃ようやく同原告に高度の難聴があることとそれがカナマイシンの副作用によつて生じたものであることの可能性が強いことを知つたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(4)  右認定の各事実によると、原告らの各法定代理人が本件診療事故による損害の発生とその加害者を知つたのは、いずれも昭和三七年一二月以後のことである。そして、本件記録の訴状に押捺された昭和四〇年七月二六日付受付のスタンプの印影により、原告らは同日、本件訴えを提起していることが明らかである。

そうすると、原告らの本件診療事故に基づく各損害賠償請求権は、いずれも、まだ三年の時効期間を徒過しておらず、被告国の消滅時効の抗弁は理由がない。

五原告らの損害額について判断する。

(一)  慰藉料 金一、〇〇〇万円あて

<証拠>によると、原告らは、いずれも、物心のつく以前から高度の聴力障害に陥つていたため言語の発達が阻害され、それぞれ三歳時に聾学校に入学して特殊教育を受けたが、原告椋木克と原告林宏文は中学一年生になつた現在でも全く言葉を話すことができず、原告古川起余子は、発語練習を重ねた結果多少話せるようになつたものの、発音に多大の難があり、親兄弟はともかく、それ以外の第三者に会話によつて自己の意思を伝えることは著しく困難であること、原告らは、いずれも他人の会話を理解することができず、原告椋木克は筆談もしくは手話により、原告古川起余子と原告林宏文は読唇法により、やつと他人からの意思の伝達を受けていること、原告古川起余子は、少しでも世間への順応力を身につけさせたいという両親の希望により、昭和四八年から一般の私立女子中学校に通学するようになつたが、担任の教諭などから特別の配慮を受けてはいるものの、勉学その他学校生活上に大きな不利不便を余儀なくされていること、原告らはいずれも、本件診療事故により、聴力と言葉を奪われた結果、他人との意思の疎通に多大の不利不便を被り、しかもその聴力障害が不治のものであるため、将来の長い人生の過程において受けるであろう不利益とこれに対する不安、苦痛は甚だ大きいものであること、以上のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

右認定事実のほか、本件に顕われた諸般の事情を斟酌すると、本件診療事故によつて原告らが被つた精神的損害に対し、原告ら各自について金一、〇〇〇万円あてをもつて慰藉するのが相当である。

なお、右慰藉料は、原告らの将来の精神的苦痛に対するものも含まれており、慰藉料額算定に当り、原告らの両親の精神的苦痛に対する慰藉料も斟酌されたことを付言する。

(二)  弁護士費用 金七〇万円あて

弁論の全趣旨によると、原告らは、いずれも、被告国から、損害賠償金の任意の支払いがえられなかつたため、弁護士である本件原告ら訴訟代理人に本件訴えの提起と追行を委任し、その報酬の支払いを約束したことが認められ、この認定に反する証拠はない。

そこで、本件事案の内容、審理の経過、認容額を併せ考え、右弁護士費用の損害として、本件診療事故と相当因果関係にあるのは、原告ら各自について金七〇万円あてである。

六むすび

原告らは、各自金一、〇七〇万円と、うち金一、〇〇〇万円(弁護士費用の損害を控除)に対する本件訴状が被告国に送達された日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四〇年八月二七日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを被告国に求めることができる(各弁護士費用の損害の遅延損害金については、いずれも、弁護士費用が現実に支払われたことの主張立証がないから、これについての遅延損害金を認容することができない)ので、原告らの本件各請求をそれぞれ右限度で認容し、その余を失当として棄却し、民訴法八九条、九二条、一九六条に従い、主文のとおり判決する。

(古崎慶長 谷村允裕 岩本信行)

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